1992年2月、第1回埼玉マラソンが開催されることを知り、浦和に住んでいた自分は,ちょっとした衝動にかられて参加しました。なんとなるだろうという気楽な気持ちで、特に練習もせずに参加しました。号砲が鳴っても、なかなか集団が動き出さず、やきもきしながらのスタートでした。自分としては、まずまず好調なペースで3時間半という目標タイムを上方修正しようと意気込みましたが、35km過ぎに魔物が待っていました。
第1回(1992年2月):3時間41分51秒
第1回大会に初参加。写真でピンクっぽいウェアを着ているのが私です。このウェアは,サイクルロードレース用のレーサーウェアとレーサーパンツです。自転車に乗るにはむいているのですが、マラソンには不向きであることが走り出してから判明しました。
この服装のせいで,乳首がこすれて痛み出し、そればかりか、またずれ気味にもなりました。それでも、3時間20分台が出せそうなペース、と思いきや、35kmを過ぎたあたりから、急激に体力を消耗、100mが1kmにも感じられるような感覚に陥りました。
39km地点で、遂に歩き、競技場近くで再び走り出しましたが、ロス五輪のアンデルセン選手状態、よれよれでのゴールでした。
第2回(1993年2月):4時間10分??秒
第2回大会も、懲りずに全く練習もせずに参加、但し、初回の反省を活かして、乳首にカットバンを貼り、ウェアもこすれにくいものを選択(それもまた、サイクルロードレース用のウェアではありましたが)。足への負担が少なくなるように、底の厚いシューズを選択しました。
マイペースで走れ、ゴールできたのですが、タイムは4時間をはるかにオーバーしてしまいました。この時の足きりタイムが4時間20分でしたから危うかったです。
第3回(1994年2月6日):3時間55分??秒
第3回、やはり練習もせず参加(練習が嫌いだった模様)。今回は、ようやく、ウェアのみ、ランニング用途のものを調達しました。
タイムは、第1回と第3回の中間のタイム、走っただけで、あまり収穫のない走りでした。
これを最後にマラソンから足を洗う(洗うほど、打ち込んではいないのですが)ことを決意しました。なめて参加するものではないということが良くわかりました。また、レース後の体は、ぼろぼろとなり、とても、健康に良いとは思われませんでした。きちんと練習して参加するものなんですね。