80’東北一周ツーリング

20年前のカタログは郷愁がただようヨンキュッパの大衆スポーツ車(BSロードマン)を購入して10ヶ月。長い冬もようやく終わりを告げた,1980年の春休みの後半。ロードマンで東北一周を計画した。冬の間に足がなまっていないか確かめるために,下宿から実家までの120kmを自転車で帰省した。手応えを感じて決行に移した。最初は穏やかな気候だったが,途中雪に降られたり,OLさんと二人で奥入瀬を歩いたりと・・。

左写真は,最近実家で見つけた当時,自転車購入を検討した際のロードマンのカタログの表紙である。今となっては,このスタイルは今ひとつ照れくさいものがある。最すごいのは,最下部に見える”走れ青春”というコピーだ。当時,この言葉は気にならなかったのだが,今みると照れてしまう。はっきりいってダサイ。


宿泊YHのスタンプ東北一周行程図 

行程

@→A3/29:松島YH泊(宮城)209km
A→B3/30:陸前高田YH泊(岩手)145km
B→C3/31:YH末広館泊(岩手)115km
C→D4/01:盛岡YH泊(岩手)110km
D→E4/02:おいらせYH泊(青森)160km
E→F4/03:黒森YH泊(秋田)65km
F→G4/04:男鹿YH泊(秋田)185km
G→H4/05:YH鎌田屋旅館泊(秋田)156km
H→I4/06:米沢到着(山形)189km

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@⇒A出発

可愛い姉弟と記念写真目が冴えて3amまで眠れなかった。5amに寝不足気味で起床。6amには、予定どおり出発した。親に言いそびれた罪悪感を感じていたが、ペダルを踏む度に、これから行くであろう東北各地のことが思いやられ、気分は最高潮。と、思いきや、福島市内でバックミラーが折れ不吉な予感。気分を引き締める。幸いに、天候に恵まれ、松島観光などもした(観光地化しすぎて興ざめであったが)。6pmには、本日の宿泊先の松島YHに到着。21人のホステラー(宿泊者)とミーティングで盛り上がる。順調な初日。本日の走行距離は209km。

A⇒B雨の中、彼女の出身地を通過

前夜、ペアレントさんが「海岸でさくら貝が拾えるよ」と言っていたが、朝からあいにくの雨でそれどころではない。7amに出発。髭剃りを忘れたので、石巻市内で買う。ここは、当時つきあっていた彼女の故郷である。ちなみにその彼女は今の妻である。気仙沼で油切れで鳴り出す、購入し注油。唐桑半島の方に向かう。折石という、高さ16m、周囲4mの大理石が海から突き出ている。なんでも、昭和29年の三陸津波で先端が2mほど折れたらしい。6pm過ぎに、本日の宿泊先の陸前高田YHに到着。宿泊者は、香川の親子、千葉、東京の学生と自分の5名。本日の走行距離は145km。

B⇒Cコース中の最難関地域へ突入 

穏やかな天候の三陸海岸宮古にて(岩の白,松の緑,海の青が綺麗なのだが・・)前夜、ペアレントさんから「大船渡〜釜石間はきついよ。ここを走れたら、全国どこでも走れるよ」と言われた。7amに出発。8%〜10%勾配の急坂が次から次と現れる。気合で乗りきる。トンネルも多く、鍬台トンネル(2305m)を始め、長短12本のトンネル。トンネル内は、暑さ寒さ雨雪をしのぐには良いが、かなり暗いトンネルもあり、トラックなどが来ると、騒音も凄く、かなり恐いのだ。2pm頃、宮古に到着してほっとして、浄土浜に行き観光船に乗る。5pm前には、本日の宿泊先のYH末広館に到着。本日の走行距離は115km。宿泊者は4名の学生。自転車かじった人がいたので、苦労話で盛り上がる。

C⇒D峠越えの日、朝から雪

YHは2段ベッド8人部屋が多かったトンネルを抜けると雪景色(本当に春なの?)区界駅にて本日は、区界峠を超えて盛岡に行く予定。昨夜からの雨は雪に変わっていた。峠はすごい雪だよと驚かされるビビルものの7amに出発。すれ違う自動車からシャーベット状の雪水が容赦なく飛んできて、ポンチョで被えない、腰から下はびっしょり。冷たいを通り越して麻痺状態、もうやけの状態である。15本のトンネル(中は暖かく救われる)を通過し、昼前に海抜751mの区界駅到着。天気良ければ、早池峰山など見れるらしい。雪から雨に変わり霧も出て視界も悪い。とても寒く震えが止まらないまま、22kmを一気に下り、1pmには盛岡到着。コインランドリ−で洗濯。3pmには、宿泊先の盛岡YHへ到着。宿泊者は、鹿児島、札幌(2)、大阪、金沢、埼玉の計7名の学生。小岩井まきば牛乳いただきミーティング。この日は、カネボーの高卒新入社員の数十名の団体がきており、YHらしからぬ華やかな雰囲気であった。本日の走行距離110km。

D⇒E途中吹雪に見舞われるも奥入瀬に到着、宿泊者は2名

全く言葉が通じない一戸のおじいちゃん色褪せた写真で汚いが(岩手山)6:30amに出発し市内を回り、おいらせを目指す。雪をかぶった岩手山(2041m)がくっきり(写真は失敗です)、感動ものだ。滝沢村の牧場一面の雪を見つけ、その上を走り回って遊ぶ。一戸で地元のおじいちゃんと話すが全く言葉が通じない。金田一を過ぎたドライブインで昼食。12pmに出発するも、雲行きが怪しくなり、突然吹雪状態。1:30pmに五戸手前の峠のドライブインで休憩。ストーブで乾かす。指先の感触がなくなっていた。カップヌードルを食べているうちに雪もやむ。2:30pmには、すっかり晴れ上がり、十和田市より岩木山、八甲田山が美しく見える。4pm過ぎには宿泊先のおいらせYHに到着。本日の走行距離160km。宿泊者は、愛知のOLと2名のみ。ペアレントさんは学生時代に自転車に狂っていた人なので、10pm過ぎま話しこむ。彼は、外国製パーツや高級な自転車に乗っていたせいか、自分のような大衆車で、盛岡からおいらせまで、この時間で来れたことを不思議がっていた。でも、自転車は人間がエンジンなんだから当たり前さ。心の中で、「この足見てくださいよ」とつぶやく。

E⇒F雪の奥入瀬、OLさんと歩く、十和田湖に感激、大湯温泉巡りチャレンジも挫折

7amに出発。102号線は生活道路として除雪されるので冬季でも通れるらしい。早朝、除雪車がとおり、路面は2〜3cmの圧雪状態。雪は自転車にとって大敵。滑るだけでなく、雪が泥除けやブレーキシューに付着し走らなくなってしまう。愛知のOLさんが、子ノ口まで歩くというので、一緒に歩く。約3時間12km。(何か楽しかった記憶がある。雪の奥入瀬を観光している人はなく,自分とOLさんの2人だけが,雪の奥入瀬を,とりとめもない話しをしながら歩いた。自分の行程の中では,走行距離が100km未満の予定を組んでいたのはここだけだったので幸いだった。)日本一と言われる、奥入瀬も雪にうずもれ新緑や紅葉の時のような美しさはなく、彼女とのおしゃべりに終始した。

おいらせを一緒に歩いた浅野さん余りの雪に開き直り滝も凍りついている

滝も凍りついている十和田湖が出現高村光太郎の最後の作と言われる乙女の像

しかし、子ノ口に近づくとぱっと視界が開け、恐ろしほどの青さの十和田湖に鮮やかな朱色の橋がかかり、雲一つない青空と雪の調和はどきっとする位、美しく、唯一絵になる風景であった。ここで、彼女と別れて、発荷峠超え、大湯でストーンサークルを見る。

子ノ口は一面雪発荷峠より十和田を臨む発荷峠より十和田を臨む共同浴場の一つ(下の湯)

3pmには、本日の宿泊先黒森荘YH到着。本日の走行距離65km。歩行距離12km。大湯温泉共同欲場の案内図もらう。4件の共同浴場を120分で回るコースらしいが、2件目で疲れもありのぼせ気味となり断念。8pmよりミーティング。関西の女子大生3人組(彼女達はクリアしたらしい)、大阪の院生、東京の中学生。院生は、温泉巡りで風邪をひき寝こんでいて3連泊目とのこと。ペアレントが寝かしてくれなくて、11:30pm頃まで夜更かし。YHは、通常10pm就寝なのだ。最後は、のぞきの話しで盛り上がる。部屋は薪ストーブだ。

F⇒GYHのおばちゃんに再会を約束して、男鹿半島に向かう

黒森YHのおばちゃんと手作り凧を手に寒風山で風強し男鹿の海の岩場で天気も回復。出発準備のため食堂でガタガタやっていたので、YHのおばちゃんがやって来た。記念撮影をする。手作り凧をおばさんに持ってもらい、自分はけん玉を持って記念撮影。そしたら、おばちゃんが持ち物を交換して撮ろうというので、再度撮影。「写真は送らなくてもいいから、あなたが今度来るときに持ってきなさい」と言われた。「また、いつか来ます」といって(約20年ぶりにこのメモを見るまで,こんなやり取りがあったことを忘れていた。あの時のオバサンは元気だろうかと,思いやられた。)、7am出発する。途中、右側を高級自転車で走行する奴に出会う。彼は、自分を意識してスピードを上げる。アホらしいと思いつつも、一気に抜き去り、後方かなたに見えなくなるまで突っ走った。道路のどちら側を走るのか勉強してから出なおして来いといいたい。1pmより、男鹿半島の寒風山パノラマラインに入る。強い向かい風とだらだら上り坂でとてもしんどい。上り、汗だくで上っていると、クラクションを鳴らされる。何かと思えば、おいらせでであったOLさんだった。回転展望台からは、八郎潟、日本海、船川港など最高の展望。標高は355mなのだが,海抜0mからなので,数字以上に高いかんじがする。でも、そろそろ海も見飽きたかな。6pm前には男鹿温泉着。夕食ととる。6:30pm、本日の宿泊先の男鹿YHに到着。本日の走行距離185km。宿泊者は東京(3)、愛知の大学生で5名。卓球などする。愛知の彼が、「女一人自転車でシルクロード」という文庫本を見せてくれた。今度、読んでみよう。他にも自転車をかじった人がいて、輪行(自転車をたたんで袋に入れ電車やバスなどで移動すること)の話しなどをする。自分のロードマンでは、輪行は無理。今度は、可能な自転車を購入しようと思った。OLさんからのメッセージカードが残されていた。夕食をたのんでいなかった自分に対して、塩魚汁(しょっつる)鍋が最高に美味しかったですとあった。(金が余り無かったこともあって,ご馳走を食べた記憶はない。現地調達で適当にすませていたように記憶している。

G⇒H秋田、美人の産地(角館)経由で一気に横手へ

自転車が場違いな武家屋敷(角館)若いギャルと遊んでいると豪語する横手のおじいちゃん7am前に出発。秋田に泊まろうかと思っていたが、一気に横手まで行くことにした。秋田の高清水公園(秋田城跡)に寄る。その頃、行きつけの飲み屋さんで、飲んでいた酒の銘柄と同じ名前だったのでつられたのだ(と記されているが,正しくは千秋公園だと思われる)。1pm過ぎには、角館到着。高校時代の現国教師が、「角館と青森の五能線沿線は美人が多いぞ」と言っていたのを思いだす。(当時の記憶では,確かに色白の可愛い娘がたくさんいたと記憶にある。しかし,それから数年後に再度でかけた時は,それほどでもなかったという記憶あり)5pm過ぎ、横手市内到着。雪かきしていた、おっちゃんと息投合し1時間ほど話しこむ。石坂洋次郎がこの地で教師をしていたことがあるらしく、彼の碑の前で写真撮影。写真をクリックすれば碑文が読めると思うが,「小さな完成よりもあなたが学んでいる未完成の方がはるかに大きいものであることを忘れてはならないと思う」とある。終盤に近づいたためか、緊張がほぐれ、今日は、6軒ほどの喫茶店に立ち寄った。6:30pm、本日の宿泊先のYH鎌田屋に到着。本日の走行距離は156km。宿泊者は、一人だった。

H⇒I終日雨、トラブルもあったが下宿にたどり着く

雪とガスの秋田から山形への道不吉な音で目覚める。ものすごい勢いで雨が降っている。様子見をしたが、あきらめて、9am前に出発。新庄で1時間ほど昼休憩、4pm過ぎに山形市まで到着。ここで、後輪パンクし修理に手間取り30分を費やす。6pmに上山で夕食と自転車で空気圧を十分にして、米沢を目指す。雨に加えて霧も出て視界は最悪となる。転倒しそうになったこともあったが、8:30pm米沢市内に。ここから下宿までは1km+αだと、飛ばしていたら、穴に落ち、転ばなかったものの、前後ろのリムがへこみ、がたがた。最後の最後で自転車を壊してしまった。本日の走行距離189km。


総括

9日間で総計1334kmの旅は、無事完了した。早起きしてひたすら走っていた感じの旅であった。輪行仕様ではないので,とにかく自分の足で走破しなくてはならないという点が,かえって励みになった。予定した宿泊先に間違い無く到達すること自体も目的となっていた(オリエンテーリング感覚で)。出会う人は皆、暖かく励ましてくれた。今度、こうして走る機会があれば、もっとゆっくり自由にも走ってみたい・・。


プラン帳の一部(これ位の準備で出発)

コースプラン(予備ルートの記載も見られる)YH素泊で1250円だったYHと言えばスリーピングシーツ着用が義務

プラン表(大まかな経路と宿泊先)プラン帳にガイドブックの地図を切り貼りして持物リストの一部(当時はワイヤーも結構切れた)