学生時代、講座の連中と気分転換にランニングしていた頃がある。走るのは苦しいけれど、いつしか、それが快感になっていた。お遊びだが、山登りの白布マラソンとオーム駅伝は、良い思いでになっている。
精密機械のU教授の主催だったと記憶。例年10月10日の体育の日に開催される。完走者にはU教授の単位,U教授以上の成績でゴールすれば優がもらえるという噂があったが,電子系の自分には真偽のほどは判らなかった。後半の標高差450mの山登りが,疲れた選手をさらに痛めつける。ゴールは,標高700mの保養センターであり,ゴールしたものから温泉に入り,その後,成績発表や打ち上げになる。
電気系の学生・教職員で行われるミニ駅伝大会。3年,4年,院生から各2チームと短大,教職員による8チームで競う。例年は,年の若い3年,4年が活躍するのだが,例年末席の院生チームが燃えた。1.7km〜2.1kmの3区間を9人の走者で3周する。寄る年波に勝てるのか?
講座の連中と,夕方になると気分転換にキャンパス周辺を5km前後走っていた。走るということは,結構くせになるものでもっともっと走りたいと思えてきた。そんな時,白布マラソン大会があることを知り参加することにした。25kmという距離は全くの未知数であったが,標高700mまで登るということが好奇心をくすぐった。当時は,自転車でも峠を攻めることに楽しみを感じていたので。
コースは,工学部体育館(標高250m)→館山→小野川温泉→船坂峠交差点→白布保養センター(標高700m)の25kmである。2大会のゴールシーンの写真が残っていた。テープを切っているが優勝ではなく,いずれも3位。1981年の大会は,参加者95名(完走者91名)で,優勝タイムが1時間47分6秒で91位が3時間55分であった。下の成績表の6位の方が,U教授である(実名を出してすみません)。4位の伊藤君は,優がもらえたのだろうか?
1981年10月31日。自分は,院の1年であった。例年,院生チームは最下位近辺をウロウロしていたが,その年の院生は勝利を期して燃えていた。通常,Aチームに強いメンバーを集め,Bチームはお遊びモードなのだが,他チームを欺くため,Bチームを最強メンバーで構成した。院生Bチームは,最後まで4年生Aチームと争ったが,やはり年の差で若さに破れた。院生Bチームにとっては,K君の大ブレーキが誤算であった。院生チームが最も優勝に近づいた年であった。自分は,B区間(1.7km)の区間賞をゲットすることができた。
おまけ
1991年、社内有志の皇居一周マラソンで銅メダルをゲット
1991年10月19日,全社スポーツ大会の事業所対向駅伝に参加