2000年2月


 


妻の誕生日


40.3度


病み上がり


強風

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だるま市

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初スキー

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寒気団到来

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子供抜きで

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家内と二人

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空振もマル

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満月に思う

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空席探し

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心地よい汗

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閏年の明日

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2000年2月28日(月)潤年の明日

潤年の明日(2月29日)もY2K問題に関連するらしい。1月1日を無事に迎えてしまったので、危機感を抱いている人は、ほとんどいないのではないだろうか?

新潟県警の本部長や監察の局長の事が、連日報道されているが、さもありなんの内容に、興味も覚えず。当事者は、何故、この日に当たってしまったのだろうかと思っているに違いない。中央のお偉方が来て、どこどこ行きたいと言い、聞いた方は、その場を一生懸命あつらえる、その場を無難にこなすことの方が、事件より大事な事になってしまう。

ノートパソコンの液晶は、死にドット以外にも、縦に赤い線が1本出るようになってきた。そろそろ、買い替えモード。

江戸川橋付近で夕方、仕事が終わる。同行の営業さんと、軽く食事をする。気がつくと、時計の針は、9PM近い。池袋に出て、埼京線に飛び乗る。何とか間に合った。ホッ。

2000年2月25日(金)心地よい汗

久しぶりに、スポーツクラブに行く。記入表を見ると、1月28日以来なので、約1ヶ月振りということになる。本来であれば、週2回は通いたいところが、週1回がやっとと言っていたのに、1ヶ月に1度では話しにならない。考え直す必要がある。それは、さておき、久しぶりに良い汗をかき、心地よい気分だ。帰りの新幹線は、金曜日とあって、大変混んでいた。携帯椅子も取り出せなかった。

2000年2月24日(木)空席探し

ミニ雛壇登場帰りは、デッキに多くの人が立ち、混雑。Max号壁の埋め込み椅子も、余りに混んでいると利用しにくいようだ。自分も携帯椅子を出しにくい。車内を移動すると、複数座席を占有している人が必ず何人かいる。多くの人が立ち、空席を求めて傍らを通りすぎても知らんふりだ。こういう人を見つけると、「こちら空いてますか?」と聞きてしまう。逆に、先日は、こんなことがあった。多くの荷物を膝上に抱えたおばさんの隣に座る際に、コートを脱ぎ始めたら、フックに引っ掛けていた荷物を外し、「こちらにかけますか?」だって。丁重にお断りをして網だなにのせた。自分側のフックを隣の人のコート用にあけようとする人もいるのだと感動してしまった。

自宅に帰りつき、玄関のドアを開けると、下駄箱の上に、ミニ雛壇が飾られていた。春も近い。

2000年2月22日(火)満月に思う

最終の新幹線を待つ上野駅ホーム(地下4階)五反田で打合せ後、食事。”公家(まろ)でおじゃる”(新潟のお酒)に心地よく酔い、最終の新幹線に余裕で乗るが、寝過ごすのではと、少し不安になる。一時、Homepageの話題になり、やや困る。知らない人には見て欲しいが、知っている人には見られたくないというのが、正直なところ。本音を知って欲しいという気持ちと、本音は知られたくないという気持ちの両方が存在するからかもしれない。

上野から乗るのは、久しぶり。地下ホームなので、吹きさらしの大宮駅とは違い冬は暖かい。夏の暑い日は、たまらないが。

今日は、アルコールのおかげで、寒さを感じないが、昨日から冷え込んでいる。風が強いので、なおさら骨身にしみる。月が満月に近い。新幹線の窓越しにみると、どこまでも追いかけてくる。久しぶりに、遠くを見た気がする。最近、目先のことしか見えなくなっていたような気がする。月を見るだけでも、少し吹っ切れたような気がする。各界で頑張る人達のドキュメンタリーを見て、人間って偉大だなと感じたり、月を見て、人間なんて、ちっぽけなものだと思えたりする。3/11(土)にJRグループのダイヤ改正がある。チラッと時刻表を見たが、自分の通勤への影響は、無い。最近、とみに、自分のノートパソコンの遅さが気になってきた。日々、そんな不満を口に出しているせいか、家内の口から、「あんまり、ひどいんなら、買いかえれば・・」。早速、機種検討に入ろうかな。

2000年2月20日(日)空振もマル

中浦和駅から大宮に向う埼京線8AMのソフトボール朝練に参加する為、6:30の新幹線で浦和へ。7:50に埼京線中浦和駅に着くが、雨が降り出す。今日の練習は、空振となる。大宮8:10発のなすの号(那須塩原終点ではなく郡山終点)にタイミング良く間に合う。新白河9:14着である。9:20分過ぎには自宅だ。果たして、家族は起きているだろうか?自分は、こうした休日の新幹線利用も好きである。小山からは、外は雪となる。

新幹線内でJR東日本のTRAINVERT2月号を見る。ぶらり酒蔵に遊ぶという特集の中で、東光の酒造(米沢)も紹介されていた。上杉藩御用達だった老舗、小嶋総本店の酒造資料館。かつて、米沢の飲み屋で、ここの部長さんに出会い遊びに来いと名刺をもらったことを思い出す。もう一つ、福島県相馬市の松川浦の松葉ガニ水揚げの記事。余り知られていないが、金沢や香住(兵庫)にも出荷されているそうだ。松葉ガニは、地方により、ズワイガニ、越前ガニと呼ばれることを、初めて知った。灯台もと暮らし、白河や福島県のことも、いろいろ目を向けるようにしたい。空振もマルの朝


生意気にも雪景色を眺めくつろぐ子供達白河は、すっかり雪景色である。一日中、降り続くかと思ったが、午後から止み、晴れ間も除く。リビングの白熱灯が切れる。白河に越してきて、洗面台の白熱灯の次に切れた電球になる。

2000年2月19日(土)家内と二人

予定通り、家内と二人でスキーに。2週連続のスキーだ。天気も雪も最高

ストラックアウトでは、1ヶ月振りに、パーフェクトを達成

2000年2月18日(金)子供抜きで

ここ数日の積雪でようやくスキー場の積雪量もアップした。本日は、さらに10cmアップで、白河高原110cm、羽鳥湖200cmだ。明日、子供達は学校なのだが、家内と二人で午前中に羽鳥湖スキー場にでも行こうかと思っている。子供達が、ぶーぶー言うか、ラブラブだねと言うか?宇都宮駅に停車する2分ほど前で、時速がだいぶ落ちたところで、PHSの接続を行ってみたが、何とか切れずに接続を維持できた。端末は、97年2月製で何の改良もなされていないので、やはり、アンテナの増設やパワーアップがなされたようだ。

左写真は、Max号1階の床部分と天井部分である。今まで、気にしたことが無かったのだが、床部分に段差がある。床は、通路部分を低く、天井は、通路の上の部分を高くしている。歩行時の高さを確保するための、工夫なのだろう。

2000年2月16日(水)寒気団到来

降る雪にフラッシュの光が反射する白河に帰ると、屋根が無いホームには雪が残る通過列車が巻き上げた雪雪なので5分ほど早く家を出る。タイヤが雪を踏む(かむ)音が心地よい。アイスバーンでは無いので、思ったより走りやすい。北陸・東海あたりで結構な積雪があったようだ。名古屋で11cmというのは凄いことなのではないだろうか。東北自動車道は、白石-須賀川間、常磐自動車道は、いわき三和-磐梯高原間で通行止めになっているようだ。新幹線は1分ほど遅れたような気もするが影響無し。宇都宮付近からは、青空で陽射しも強い。7:50AM頃、7号車で大きな音が数度発生。音の感じからすると、車輌の床部分に貼り付いた氷がはがれ落ちたような音。こんな音を聞いたのは初めてなので、少し驚いた。トンネル内でこの音がしたら、コンクリートの落下かと思うような音であった。

Max号の最前列に座っていると、目の前に、”みちのくの銘品 仙台牛 仙台牛銘柄推進協議会”という壁広告。お肉の写真は、とっても美味しそうだ。牛肉には、松坂、米沢、前沢・・のように、育った地域名が付く。浜松町付近には世界の宮崎牛という看板もあったような気がする。人間ならば、白河人、大宮人、板橋人・・などということになろうか。牛は、そんなに生活の場を変えないのでいいけれど、新幹線通勤する自分などは、毎日、福島と東京間を移動しているわけで、何人というべきなのだろうか?野球選手のように、巨人に移籍して引退し、巨人OBという例もあるので、最後に住んだ場所で決まるのかな。

帰り、白河駅のホームに降り立つと、屋根の無いホームの端の方には、さらさらした雪が残っていた。そこへ、上り電車が通過する旨のアナンス。ここで聞き慣れない放送が・・「通過する列車が雪を跳ね上げますので、ホームから下がってお待ちください」というもの。雪を跳ね上げる様を見たくなり少し待つ。そして通過。パッと白いもやが、あたり一面に立ち上る。道路は、雪が凍って光っているところもある。上り坂では、滑って上れないかと思ったが、何とか、自宅まで帰り着く。明日の朝は、恐そうだ。

2000年2月13日(日)初スキー

ちゃぽランド玄関では白熊が出迎えちゃぽランド大広間窓越しの景色昨日は、今シーズン初スキー。白河高原スキー場へ。一部アイスバーンがあり、チェーンを装着(これが面倒なのだ)するも、1時間程度で到着。連休中日の上、団体さんが来ていたので珍しく混み合う。帰りは、ちゃぽランドで湯につかり、楽しい休日となる。水着着用のファミリープールもあるが、温泉の方だけにした。43℃の温泉は、適温で子供でもOK。気泡風呂の方は、もう少し温度が低く、泡にマッサージされながら、ゆっくり入れる。サウナ室は、気温92℃。大広間(100畳以上?)で、くつろぐ。

今朝は、浦和でソフトボールの練習。白河だと冬という感じだが、浦和に来ると、春めいてくる。浦和なら、2月でも自転車が乗れそうだ。この3連休は、大いに遊んだ。午後には、従兄弟夫婦が来訪。

2000年2月11日(金)だるま市

昨日は、うっかりして、所望の新幹線との乗換え時間が1分しか無い埼京線に乗るはめになる。埼京線ホームは地下2階相当で、新幹線ホームは地上2階相当である。乗降客でごった返す時間帯に、3階分のフロアを駆け上がり、新幹線改札まで通過するのは困難ではないかと思えたが、過去に1度トライして成功しているので、またトライした。成功したのだが、死ぬかと思った。日頃から鍛えておいた足には感謝するものの、こんなことをやっていては、体が持たない。

5時頃目覚める。お休みの日でも、体内時計は正確である。この時間帯は、大運動会を終えて、そろそろ寝ようとしているハムスターと自分だけの時間帯である。カーテンの隙間から、真っ暗な外に目をやり、大まかな天気の具合を確認する。星が見えたので、天気は良いらしい。珈琲をすすりながら、原稿書きをする。先刻、真上から、ドタッという大きな音がする。娘がベッドから落ちたのだろうか?今日は、白河だるま市だ

2000年2月9日(水)強風

新白河を出てトンネルを抜けると、あたり一面雪となる。那須塩原から宇都宮あたりまで、真っ白な雪景色である。おまけに、風が強いらしく、小山−大宮間は、速度制限が行われ数分程度遅れた(珍しいことだ)。予想通り、風に弱い、埼京線(川越線)は、ダイヤが乱れまくっていた。

先日の40度の熱で、かなり脳細胞が死滅したようだ。6日は、会社の帰りに上野に出る用事があり、赤羽で京浜東北に乗換えたが、下りに乗ってしまい、川口から折り返した。昨日は、会社から宇都宮に出張することになる。所望の新幹線に乗るために、埼京線の時刻を調べると、5分後に発車する電車に乗らないと間に合わない。歩けば、12分はかかる道のりを、5分以内で走りきってホームに駆けあがる。丁度、入線してきた電車は、反対方向の上り電車。反対方向の時刻表を見て、あわててしまったのだ。下り電車は5分後で新幹線には十分に間に合うものだった。死ぬ思いで走った、この道のりは、何だったのだろうか?

2000年2月7日(月)病み上がり

土日含めて4日間の休養を取ることができたおかげで、本日より、出社可能となる。病み上がりのせいか、駅の階段を上っただけで、少し息が切れる。月曜の朝にも関わらず、空席があり、ゆったり座ることができて助かった。

2000年2月4日(金)40.3度

2日に、会社の診療所で風邪薬をもらい飲むが、自宅に戻ってから38度近くの熱が出る。3日は、会社を休み自宅で休養していたが、昼過ぎから、悪寒と寒気が一段と強まり、筋肉も痛む。家内に病院に連れていってもらう。体温を計ると、40.3度(自己最高だ)。点滴を受け、家に帰る頃には、38.5度くらいまで熱が下がる。このまま、熱が下がらないと座薬かと覚悟を決めていると、急に、汗をかきはじめ、何度も着替える。こうして、なんとか熱は下がる。今日は、一日休養していた。峠を越した感がある。咳が出ると辛いものの、週末で回復しそうな気配だ。

2000年2月1日(火)妻の誕生日

妻の誕生日。2月が最も寒い時期だけど、冬も先が見えてきたと思えてくる(少し、早いかな)。ホームに立つと、やはり冷え込む。郡山始発のなすの号(6:30新白河発)に乗りこむ。本日の自由席(8両分)の乗客は、たったの45人(目の前を通過する際に数えられる位の人数だ)。新白河からの乗客を加えても、100人を越す位であろう。ゆったりとした車内でくつろぐことができる。数日前から咳が抜けない。ひどくはならないものの、治りもしない。巷では、インフルエンザが流行っているらしい。学級閉鎖の声もきく。

夕方は、お付き合いのある北陸の顧客様との打ち合わせ(飲み会)。最終の時間が近づいてきて、一人退席させていただく。いつものことだが、帰るか?泊まるか?の判断がある。基本的には、終電までの男ということで、お許しをいただいている。周りの方々に甘えている部分であり、自分なりに割り切っている部分である。中には、とことこやられる方もいるだろうが、新幹線通勤をしている方には、共通の悩みではないだろうか?

久しぶりに、上野から終電に乗る。21:38発のやまびこである。16両編成で、1−8両目、15・16両目が自由席である。15・16両目は、端のせいか、或いは、かつては指定席だったせいか、空いていることが多い。禁煙車ではないが、空いているので、禁煙じゃなきゃ嫌だという人にも苦にならないことが多いようだ。どうしても確実に座りたい場合は、最初から、15・16両目に乗るといいかもしれない。

家に着いて23:00。とっくに寝ているはずの子供達が起きている居る。今朝、会えなかったからなどと、泣かせることを言う。息子は、先日書いた恐竜の線画に色を塗ったものを見せてくれた。近いうちに、彼のページにアップすることを約束する。娘は、学校から渡された成長の記録を見せて、最近の体重と身長を、図上で交差させ、ふつうのエリアでホッとしたと言う。以前は、もう少しで太っているエリアに入りそうだったらしい。