パソコンとの戯れ

1977年秋、LKIT-16を所有して以来、パソコンとの戯れ(LKIT-16は、マイコンと言うべきかな)が続いている。当時,マイコンという言葉に始めて触れて,猛烈に欲しくなり,アルバイトの金を全額はたいて買った記憶がある。NECのTK-80が一番人気だったが,唯一の16bit機であるLKIT-16に惚れて購入した。

通勤で利用している銀座線末広町駅からは秋葉原電気街も近く,所有パソコンのサポート面でもなにかと便利。現在は、埼京線浮間舟渡駅を利用しているので、不便になったが、大宮駅前のソフマップは品揃えも豊富なので助かります。などと言っているうちに、今度は、東京駅を利用するようになった。

 
No. 機種名 購入時期 現状 ワンポイント
01 PANAFACOM LKIT-16 1977年10月 遺跡として残存 マイコンキット〜拡張の道
02 SHARP X1 1983年 売却 パソコンテレビ
03 SHARP X1-turbo 1986年以降? 売却 ターボが流行り
04 EPSON PC-286** 1988年あたり? 売却 互換機の走り
05 NEC PC-9801DA* 1991年以降? 売却 パソコンと言えばNEC
06 NEC PC-9801NS/L 1992年以降? 売却 モバイルノートの走り
07 GATEWAY P5-90 1994年7月 売却 DOS/Vマシン直輸入
08 HP 200LX 1994年頃 売却(2021年10月、メルカリ) PDAの秀逸品
09 GATEWAY P5-133XL 1995年6月 廃棄(2011年8月) 最新マシンを直輸入
10 Panasonic Let's note AL-N2 1997年7月 △(稀に動作?) レッツラーの仲間入り

11代目の後継機選び・・2000年2月 ★番外編(自分のじゃないけど)

11 Panasonic Let's note CF-B5V 2000年7月8日 △(お役御免) レッツラー道まっしぐら
12 Sigmarion 2001年3月3日 売却 軟弱CEに浮気
13 hp pavilion 2000/566 2001年3月29日 2011年8月:廃棄 安いよね
14 SigmarionU 2001年10月30日 CEにちょっと本気
15 Panasonic Let's note CF-R1 2002年5月18日 レッツノート三代目
16 DELL  2004年3月7日  
17 Panasonic Let's note CF-R3 2004年11月25日 レッツノート四代目
18 DELL 2007年5月 ◎娘用  
19 Panasonic Let's note CF-R7 2009年4月4日 △私用 レッツノート五代目
20 Panasonic Let's note CF-R7 2009年4月4日 ◎息子用
21 ASUS Eee PC 1001PXD-WHITE 2011年5月 ◎愛妻用
22 Panasonic Let's note CF-SX1 2012年4月19日発注 ◎私用 レッツノート六代目
23〜 以降はレッツノート使用歴へ

@PANAFACOM LKIT-16・・1977年10月

マイコンなるものが入手可能となる。当時、最も有名なのはNEC TK-80だった。国産では、他に、東芝、日立、パナファコムの製品があったと記憶している。当時のCPUは8ビットだった中でパナファコムだけは16ビットだったので決めたと記憶している。

製品とはいえキットでハンダ付けを全て自分で行うもの。48個位のキートップを1個ずつはめ込み裏の配線をしていく。LSIは静電気に弱いと脅かされ下宿先の調理場のステンレス台の上で手に銅線巻きつけ水道管に接続しアースを取りながら、ハンダ付けした。

最も大事なCPUをソケットに挿入する時は細心の注意で作業するも足がうまく入らず押した瞬間に全ての足がぐにゃりと曲がってしまった。ラジオペンチで足を戻しながら壊れたかと思ったけど幸いに大丈夫だった。

プラグラムはアセンブラ言語で行う。表示部分は8桁LEDのみ。メモリは数KBしかない。これだけでも結構遊べた。翌年にはBASIC言語を搭載したROM、カラーTV接続ボード、フルキーボードの接続ができるようになった。BASIC言語とアセンブラ言語を使いオセロゲームなどを作り遊んでいた。

年末に帰省してガラクタの入ったダンボール箱の中に当時のLkit-16の残骸を発見した。当時のマニュアルやフローチャートやソースコードが見つかり一人悦にいっている。下記写真はBASICも使えるようになった後の姿でTVモニターも接続されている。脇に見えるラジカセはプログラムの保存&ロードに使っていた。下段の写真は外部記憶装置として接続しようとしていた電電公社(現NTT)払い下げの8インチFDD装置。メモリ容量が数KB単位の時代に320KBの容量は画期的だったが最後まで動作せず涙を飲んだ。

78年,CRTとフルキーボードが付いた ぐちょぐちょの配線
外部記憶装置としてつけようしていた8インチFDD はんだ付けして作った接続用インターフェース基盤

A1983年**月:X1(SHARP製)・・個人の方に売却

社会人となり、パソコンを購入。パソコンテレビというもので、テレビも見ることができた。よく、ナイター中継を見ながら、オーバーレイ表示でプログラムを書いていた。こいつがすごいのは、カセットの能力だ。当時、2400ボー(2700かも?)というスピードで読み書きができた上に、BASICからランダムアクセスメディアとして使用できた。

B198*年:X1-turbo(SHARP製)・・個人の方に売却

5インチフロッピーが使えるようになった。グラフィック性能も向上。当時のLIFEBOAT社(現SOFTBOAT社)から出ていたCインタプリンタを入手して,C言語で遊んだ。しかし,このCはかなり制約の多いもので,プログラミングをするには物足りなかった。

CPC286**(EPSON)・・売却

主流は、PC-98ということで、SHARP路線からの独立を考える。本家NECにしないで、互換機EPSONを選択するところが、自分らしい。CPUは、80286(16bit)。この後、SONYのワープロを購入した。目的は不明。年賀状用だったのか?保存メディアは、2.5"という特殊FD?で、データ交換用に、PCにドライブを購入して接続した記憶がある。この機種で始めて,BASICにしてもアセンブラにしてもC言語にしても,まともに使えたという記憶がある。

DPC-9801DA(NEC)・・売却

5代目にして遂にNECの国民機を購入した。初代でTK-80にしなかったことが、ここまで国民機の購入を遅らせた原因のような気がする。CPUは、80386(32bit)。PC286も嫌いではなかったが,遂に16bitCPUの性能の限界が見え始めたことと,当時のアプリケーションが互換機ですぐ動作しない(EPSONが対応に追われていたと記憶)ことで,互換機の限界を感じ,本家本元に。やはり,国民機は環境的に恵まれていた。プログラミングも全盛の時であった。

EPC-9801 NOTE NS/L(NEC)・・個人の方に売却

同じく、国民機のノート。薄くて軽くて重宝だった。専ら,会社で使っていたが,週末は自宅に持ちかえっていた。モバイルが可能な機種だった。自宅で、TVの脇に置いておいて躓きがてら、蹴飛ばして、底面に凹みと亀裂が入ってしまい,がっかりした記憶がある。幸いに壊れなかった。確か、2kg程度の重量で薄かったと記憶している。業務用ということで,当時は,dbSOFTのP1EXEを愛用していた。軽快に動作し,文章と図形が簡単に書ける点が好きだった。PC/AT互換機やWindowsが全盛となるまで,しばし重宝した。

FGATEWAY P5-90・・個人の方に売却

IBM互換機が盛んに取り上げられ、欲しくてたまらなくなる。NIFTYでGATEWAY2000の直輸入の話題に触れ、購入を決意。この牛柄の箱が届いた時は、うれしかったな・・。IntelのPentiumバグ騒ぎもあり、日本のIntelに交渉して交換CPUを送ってもらった記憶がある。購入後に、HDDを1個追加した。おまけのCD-ROMも付いてきて結構楽しかったのだが,アプリケーションが全て英語版だったことで,余り使えなかった。そこで,MSのOffice4.3,WindowsNT WS,MS accessなどを購入。

 

 

G200LX(HP製)

パームトップタイプ。重量は、300g台だけど、立派なDOSマシン。単3アルカリ電池2本で、1ヶ月以上使える点がとても気に入っている。電車の中で、立ちながら、文字打ちできる。PIMソフトの出来が秀逸だ。Iのlet's noteとも,赤外線通信ポートを使用して,データの送受信ができる。E-Mailの環境作りにもチャレンジしたが,アプリケーションを入れるためのMemory容量不足とモデムカードの消費電力の多さから,モバイルでの使用は無理と判断して断念した。まあ,今はIのノートを常時持ち歩いているので,不要になったとも言える。メモリ+モデムの一体カードで消費電力が少ないものがあれば使えると思うのだが・・。

H1995年6月:GATEWAY P5-133XL・・愛用

HDDの容量不足、CPUの性能不足、メモリの容量不足のグレードアップ費用を考えるうちに、下取り出して新台購入が良いと判断。発注しようと思っていた矢先、米国で133MHz機の発表があり、発注。Pentium133MHz、32MBメモリ、1GB-HDD、Ethernetカード含む。発注後、急速に円安基調となり、80円台から一挙に100円台に。幸いに、決済レートは85円であり、円高メリットを享受できた。この年の9月より日本法人ができることになり、直輸入はできなくなった。現在、メモリとHDDが増設され、64MBメモリ、1GB+4GB-HDD構成となっている。Windows98とLinuxのデュアルブート対応である。

P5-133XLの銘板が無い! 最近は剥き出しになっている 下段のHDD(C:)は、時々たたかないと起動しない

初代は、デスクトップ型であったが、2代目は、ようやく憧れのタワーケースだ。しかし、何故か、P5-133XLの銘板が無い。何度もクレームを入れたが、ついぞ、とりあってもらえず(FAXでのやり取りだったので、意図が通じなかったのかもしれない)少し、心の傷となった。その後、モデル名のシールが付いたGATEWAY本が発売され,購入した。このシールで,なんとか我が愛機も外から見ても,P5-133XLと判るようになった。少し気分を良くしている。C:ドライブになっている1GB-HDDは、数日以上、電源が入らないと起動しなくなってしまう。ドライバなどで適度な刺激を与えると起動するようになる。たたくために、剥き出しになっている。HDDをたたいて起動するなんで、まともじゃないけれど。

I1997年7月:Let's note AL-N2(Panasonic製)

新幹線通勤時間の有効活用という名目でノートPCを購入した。MN128-SOHOで家庭内LANが構築されている。移動先でも、PHS32Kbpsで、NIFTYやInternetが使用できるので、とりあえず満足だ。Pentium MMX 150MHz仕様、32MBメモリ、1.6GB-HDD、800x600 TFT液晶。周辺機器では、PD/CDドライブ。プリンタは、CanonのBJC-400Jが新製品だった頃購入し、現在も使用中。デジカメ画像の印字用にPhotoプリント品質のプリンタも欲しいが,当分無理だろう。それにしても,計算してみると,のノートは年間9万kmを移動していることになる。会社・出張時を 問わず,このノートは常時持ち歩いている。ドアツードアの往復で376km,年間240日会社に行くと約9万kmだ。10年持つかどうかは不明だが,持ったら90万kmだ。凄いかもしれない。

※番外編(自分のじゃないけど)

CASSIOPEIA E551998年12月30日,K君が昨日購入したという,CASSIOPEIA E55を持ってきた。Windows CEの新しいタイプとのこと。キーボードはなく,液晶パネルとペンで操作。彼が常用しているOutlookとの連携ができる点が売りらしい。左写真は,愛機のLibretto100と接続してソフトのダウンロードをしているところ。ちょっと,触らせてもらったが,軽快に動作する。録音機能もある。この日は,赤外線通信がうまくいかなくて,シリアルケーブルに甘んじていた。


J2000年7月8日:Let's note CF-B5V(Panasonic製)

Let's note AL-N2で快適な新幹線通勤を行っていたが、遂に、1週間前にお亡くなりになった(購入からまる3年)。泡の出る水をかけてしまったこと(1999/1/12)や、落下試験を行ったこと(2000/4/30)など、痛めつけたしまったことも寿命を縮める遠因(原因?)になったかもしれない。新幹線通勤のお供で年間9万kmを移動していたことになるので3年で約27万kmを移動したことになる。本当に、ご苦労様であった。この間、思い出せるだけでも、数々のトラブルがあった。バッテリーの異常(Panasonicさんの真摯な対応により、2回ほど無償交換)、キーボード(一つのキーが折れる→無償交換、最近ではEnterキーの戻りが悪く押下状態になることがしばしば)、赤外線ポートの故障、ACアダプタ内部の断線(自分で修理)、上蓋ロック機構の破損、背面滑り止め全てはがれて紛失。キーボードを修理すると2万はかかると言われており、さらに今回の症状では、マザーボードとHDDの交換が必要になりそうで、修理費用は14万ほどかかることになるので、新台購入を決意。もともと、後継機を物色してはいたのだが、トラックボール採用機がなくて、今一つ醒めていた。そこへ、トラックボール復活の知らせ。何というタイミングの良さ。

6月24日発売予定の機種だったが、店頭出荷は少し遅れたようである。しかし、店頭に並ぶのは、SONY、NEC、IBM、TOSHIBAなどでPanasonicの展示は無い。あっても、旧型機(処分価格で)。AL-N2が登場した際に、最高のモバイルPCとして、ほとんどの店頭に並んだ頃が懐かしい。自分の知っている店には展示が無く、カタログをもらい、価格をきく(オープンプライスなので)にとどまる。カタログを見ると、CF-B5Vなどは、受注生産と記されており店頭に並ぶ気配も無い。少し高いような気がするが、トラックボール搭載機など他にはなく、選択の余地は無い。B5R(PentiumV/600MHz)とB5V(Mobile Celeron/500MHz)のどちらにするかだけである。前者は、電池の持ちが30分ほど長いという優位性も持っている。しかし4万円ほどのメリットは感じられず、B5Vを、いかに安く買うかということになる。そして1週間前壊れたことにより思い切る。会社の近くの九十九電機に在庫があるのを発見したが、結局、Yahooショッピングで見つけた奈良のお店に決定。一番安く、在庫もあった。5日(水)の11AM前に入金して、約束通り3日目の8日(土)午前に届く。

主要なスペックは、CPUがMobile Celeron(500MHz)、Memoryが64MB、HDDが10GB、液晶10.4インチTFT(1024x768画素)。重量は、現行機と同等(100gほど軽い)。サイズは、奥行きが増して、若干薄くなった。薄くなったのは、トラックボールの直径を19mmから16mmにサイズダウンしたことによるものと思われる。使い勝手では3mmダウンの影響を心配したが、慣れの問題で、特に支障はなさそうである。ポート類は充実、外部ディスプレス、パラレル、シリアル、USB×2、PCMCIAカード(Type2×2)、10/100BASE-LAN、Modem/FAX、携帯・PHS接続I/F、マイク、オーディオOUT、赤外線など全て本体標準。新たに、Private keyというセキュリティ関係の機能が新設。FDD(USB)ドライブは外付けで標準付属品。ソフトでは、Windows98SEのリカバリーCD-ROMが付属。こんなところである。気になるところも若干あるが、Private Keyの使い勝手と併せて、後日レポートしたい。

CF-B5V全景 トラックボール径は3mmダウン 奥行きはアップ
若干薄くなる この傾きが気になる